ランリーマン第2話

スポンサーリンク



転職

Tは頷いて聞いた。

「これからどうすんの?」

先の事は考えていない。

「とりあえず、京都に戻って転職活動するわ。」

引き継ぎ

営業担当だった山口県と広島県の後任はTだった。

思い出話や今後について話しながら引き継ぎの期間は過ぎていく。

潜水機動隊の案件で大型物件とされるのは500万円以上の工事だった。所詮残予算で発注される細々した工事を拾っていく仕事。

引き継ぎのタイミングで夏場に出した見積書と施工提案が通ったらしく1200万円規模の工事が公示された。

最後の最後に営業として最も嬉しい事が起きたのだ。

この案件は昨年導水管内潜水調査として、数十万円で受注した小さな調査業務であった。

しかし、実際に潜ってみるとその導水管は戦後軍が掘った導水路であり、壁がボロボロ崩れて大きな穴を開けている状態。

完了報告と共に自社で出来る事を提案書として提出していた。勿論、見積りも一緒にだ。

何度も問い合わせは受けていたものの、これだけの金額がすぐに公示されるとは思ってもいなかった。

現場を訪れてTに引き継いだ。潜水機動隊は現場もやる営業だ。こういう時、話が早い。

退職の意思を上司に伝えると、3ヶ月の九州出張が言い渡された。

間違いなく嫌がらせである。

就活が出来ない様にそうしたのだろう。

当時の上司はそういうやつだった。

しかし、私にとっては冷静に考える良い時間だった。

それに、馬肉は美味かった。

次を決めてからやめた方が良いに決まっている。

転職活動

資格をたくさん持っていたし年の割に二級土木の資格も持っていた。

建設業界で就活しようと思っていたが、それほど甘くはなかった。

当時、建設業界は不況。

予算削減とニュースを賑わせていたあの頃だ。

そう「二番じゃダメなんですか!?」の時代。

派遣の建設会社を受けた時、

「その年齢でこれだけの資格があるなら元請けを受けた方が良い」と不合格になった。

なんて理不尽な世の中だ。

募集がないから派遣会社を受けているのだ。

自宅に帰って妻にその日のあらすじを話した。

「MRになれば?」

※MR:医薬情報担当者(自社品の有効性、安全性などを医療関係者に提供、収集している製薬会社の担当者。営業的の側面も大きい。)

妻の兄は生え抜きのMRであり、転勤が伴うことや土日も仕事が多いことも理解した上で提案してきた。

「あなたは向いてるよ。」

妻に背中を押される形でMR職で探し始めた。

当時の製薬業界は新薬ラッシュ。未経験者募集もあった。

異業種から直接メーカーに入社する事は出来ない。

まずは、派遣会社に入社しメーカーのプロジェクトで好成績を収め入社のオファーをもらうのがメーカー入社の唯一の道だった。

派遣会社の試験を受ける事にした。

筆記試験をいくつかクリアして面接を受けた数日後、合格の連絡があった。

どこのメーカーに派遣されるのかもその時に伝えられた。

全く知らない会社だ。何か今からできる事はないか考えた。

ネット検索して、取り扱い薬品の名前だけとりあえず全部覚えた。

MR試験対策研修期間は2ヶ月。

製品研修が1ヶ月。

ひたすらカタカナを覚える日々。そして、翌日の朝はテスト。時にはスピーキングテスト。

毎日緊張することばかり。

しかし、私は全くストレスがなかった。

命をかけて働いた潜水士時代、精神力は強くなっていた。

人前で話すだけでは死なない。

資格取得のため猛勉強していたから、暗記は簡単だった。全てはイメージで覚えていった。

例えば、抗生物質にクラリスロマイシンという薬がある。

「蔵にいるリスが口を開けて邁進している。」イメージ。そうして、全てをイメージで覚えた。

研修の終盤に派遣先の発表がある。

希望を聞かれていた。

私は京都、滋賀と伝えていたものの、結果は金沢だった。

他のメンバーに滋賀、京都に派遣された仲間もいた。

何て理不尽な世の中だ。

ここでもそう思ったが、きっと全員の希望は聞けないから全員を希望勤務地から外したのだろう。

東京と言うべきだった。

現場に出てすぐ新薬の発売が待っていた。

MR試験は発売日の3日後。

朝から夜まで外回り。夜に帰ってからは試験勉強の日々だった。

この頃には全ての過去問も暗記していたし、教科書もほぼ覚えていた。

そして、合格した。

それと同時に潜水士を卒業した気がした。

ランリーマン第3話

膝の神『ひざ小僧』1日1ポチ

にほんブログ村 その他スポーツブログ トレイルランニングへ

facebook   プロフィール

スポンサーリンク



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です